いわゆる伝説のラインナップ

四谷フォーバレ一でのクリスマス・イベントに出演。この日のライブから、ジュ
ネ、ミツグ、布袋寅泰高橋マコトというラインナッブでのAUTO-MODがスタート
する。




'82年秋、それまでの形態での活動に限界を感じ始めていたジュネは、布袋寅泰とと意気投合して新しいAUTO-MODをスタートさせた。これが、中期AUTO-MODである。ジュネ、渡辺貢、布袋寅泰高橋マコトの4人。それ以前のAUTO-MODのメンバーで残ったのはジュネと渡辺貢だけだった。布袋と高橋の2人は、BOØWYでの活動と平行してレギュラー・ゲスト・メンバーとしてAUTO-MODに参加した。
高橋マコトは、布袋寅泰に誘われてAUTO-MODに参加することになった。様々なバンドで場数を踏んでいた高橋は、パワフルルでタイトなドラミングのみならず、ミュージシャンとしてのキャリアという部分でも、大きくAUTO-MODに貢献した。
布袋寅泰は、AUTO-MODに参加した頃、BOØWY以外でのセッション、そしてスタジオ・ミュージシャンとしても徐々に活動の幅を広げ始めていた。今となっては誰もが認めるその才能を開花させつつあったのである。AUTO-MODでは、ギタリストとしててのみならず、アレンジや曲作りの面においても、その才能を遺憾なく発揮した。ジュネは元来、キーボード・サウンドを好む傾向が強かったのだが、さすがにこの中期AUTO-MODでは、布袋がキーボード・プレーヤーの分までカヴァーする演奏をしていたためか、あえてキーボード・プレーヤーを加える必要性は少しも感じなかったという。
なお、布袋と高橋がAUTO-MODに参加した頃のBOØWYは、まだパっとしない駆け出しのロック・バンドでしかなかった。ライブ・ハウスでの動員や知名度にしても、AUTO-MODの方が明らかに勝っていた。また、デビュー・アルバムをリリースした後、レコード会社や事務所の問題等もあって、それほど活発な活動も行っていなかった。だからJこそ、BOØWYと平行してAUTO-MODで活動することが可能だったわけでもある。それに、BOØWYAUTO-MODでは、活動のヴィジョンが根本的に異なっていたことも、2つのバンドでの平行した活動を可能にしていたように思える。
(宮部知彦、'91年再発CDブックレットより転載)