AUTO-MOD結成

AUTO-MOD渋谷屋根裏でデビュー・ギグ。メンバーは、ジュネ、アキ、シンタロー、ノブ、ヨコヤマ、ユーゾー。




AUTO-MODの創始名であり、強烈な個性を持つフロント・パフォマーとしても高く評価さされているジュネは、70年代末期、まさしく日本で最初のパンク・ムーブメントが巻き起ころうしていた頃、ワースト・ノイズというバンドを率いて東京のストリート・シーンに姿を現した。日常茶飯事的にメンバー・チェンジを緩り返しながらシーンを扇動していったワースト・ノイズは、結成から1年足らずで空中分解してしまったが、日本で最初のパンク・バンドとして後々までその名を語り継がれている。
その後、ジュネはマリア023を結成。このバンドには、後にじゃがたらに参加したオトとテイユウ、ノン・バンドのノン等が在籍していた。スピード感豊かなパンク・ビートにポップなエッセンスを織り込んだマリア023は、当時のストリート・シーンでかなりの支持を得て、その将来も多いに期待されていた。だが、79年秋に、日本で最初のインディー・レーベルと知りられるゴジラ・レコードからシングル盤をリリースしたのと前後して、ジュネは突如マリア023の解散を決意、単身ロンドンに渡った。おそらく、表面上は盛り上がっているように見えるものの、実際は決定的な突破口を見つけられないまま堂々巡りを繰り返していた東京のストリート・シーンの中で流されてしまうにとに、ある種の危機を感じていたのだろう。そして、バンクからニュー・ウェーブへと移行しつつあったロンドンで、ジュネはバウハウスとクラスに触発されて、新たなバンドの結成を決意したのだった。
 AUTO-MODという名は、ジュネ自らの思いつきによる造語である。一説によると、AUTOMATICとMODERNという言葉から思いついたということだが、ぞの真相は定かではない。
 既にワースト・ノイズ、マリア023という2つのバンドでの活動によって、ストリート・シーンではその名をかなり知られていたジュネがロンドンから戻ってきて結成した新しいバンドというだけで、AUTO-MODはそのスタート時から十分に注目を集めていた。
実際、80年6月に新宿ACBで行われたオールナイト・イベント「ストリート・サバイバル宣言」でのプレ・デビューからしても、期待を上回るセンセーショナルなものだった。その後もイベントなどに参加した時のAUTO-MODは必ずといってよいほど話題に上がっていた。彼等には華やかな舞台がよく似合うというのは、当時から彼等を知る誰もが認めるところであった。
(宮部知彦、'91年再発CDブックレットより転載)