遠藤ミチロウ アコースティックライブ@広島OTIS!

ミチロウ氏のアコースティックライブへ出かけた。氏との馴れ初め(笑)については以前も書いたけど、休日で近所で氏の言葉を生で体感できる好機会。みぃくんの世話は相方に任せて(一応、晩ご飯の準備ができたのを見届けてから)寒風に吹かれながら外出。近くのラーメン屋でいちばん軽い塩ラーメンをかっこんで、開演30分前の19時にOTIS!へ。ここへは相方と度々食事には来ている(”ヒヨコ豆のカレー”、好き)けど、ライブでの来店は初めて。てっきりテーブルを片付けてスタンディングになっているものと勝手に思っていたけど、演奏スペースを確保するために少しだけテーブル配置が変えてあっただけで少し意外。入ってすぐにタカキくんを捕捉。隣に座ってXとかLUNASEAやとかの再結成話やら…初対面だけど。でも互いのブログで大体の嗜好が判っているので…ネットってインタラクティブやね。 
前述の店内の配置もさることながら、開演時にミチロウ氏がどうやって登場するのだろう? 店の入口(外)から入ってくる?それともカウンター奥(=厨房)?はたまた奥のドアの向こう(トイレ/倉庫)? と多少なりとも店の構造を知っている者としては気になっていた。しかし、開演待ちの中、見回すと何のことはない、カウンター席の一番奥端に座って氏がメイク中だった(笑)。 テーブル/椅子をそのまま設置した形での店のキャパ数は30名弱。今日の客数は20名くらいか。客層は自分よりも少し若いくらいから40代くらいまで。恐らくはリアルなザ・スターリン世代なのだろうと勝手に想像。

19時30分少し過ぎ、店の照明が落とされ、SEはTHE DOORSの『THE END』(ベタだ)。窓側に設けられた半畳ほどの立ち位置、マイクスタンドの前にエレアコを構えて氏が立つ。「…明けましておめでとうございます…」『JUST LIKE A BOY』でライブは始まった。

真っ白なニットキャップを眉毛の上/耳半分くらいまで被り、編み上げブーツにグレーの柔らかく体にフィットしたジーンズ、黒のTシャツと黒のリストバンド。瞳を閉じ、ハスキーな声で淡々、ジワジワと言葉を紡いでいく。半袖の下に見えるたくましく筋肉質な二の腕が、再来年に還暦を迎える1950年生まれ(!)のじじぃとは思えないシャープな印象を与える。思い出したように更新される公式サイトの旅日記には、西へ東へギター片手に一人旅を続ける*1氏の姿が綴られている。その年齢になってもそこまでストイックに旅を続ける力はどこから来ているのだろう?そして寡作(2001年から2006年の5年で10曲しか新曲は作られていないという)ではあるけれど、錬金術により謎掛けのような言葉となって氏の口から発せられる氏の魂細胞は尽きることはないのか果たして?唄うミチロウ氏をひたすら凝視しつつ、そんなことを考えていた。
しかし”やりたいかー!”の投げつけ*2で始まった『オデッセイ・1985・SEX』が、その疑問に対する答えだった。「俺の言葉は唯のSEX、言って済ませる楽しいSEX」と半ば軽薄にリフレインされるサビのフレーズの通り、氏は唄うことを通じて観客と、また全国各地のライブハウスのオーナーと、SEXを楽しんでいるのだ。ザのつかないスターリン時代に氏の片腕的存在となった三原重夫氏はこんなことをエッセイで書いている。(意図的に文章を修正して引用させて頂く)

ミチロウさん位の年の人と言うのは青春時代に全共闘があり、文化的にもヒッピーの時代。(実際ミチロウさんは世界を放浪している。)コミニュケーション、あるいは意識に関してさまざまケンケンガクガクあった時代だ。先日会った友部正人さんは、「僕たちは音楽で世界を変えようと思ってやってた。」と言った。ミチロウさんはかつて友部さんのバックでベースを弾いていたことがあるらしい。ミチロウさんのあの最初の衝撃的なスターリンも僕はそういった脈絡の中でとらえている。ゴミを投げる、怒って投げ返す。これも「コミニュケーション」である。それは、人と人が正面から本音をぶつけあう事が無くなっていく現代社会、そして個人の感覚へ向けたアンチテーゼを含んだパフォーマンスだった。この事がミチロウさんのテイストを独特なものにしている。

刺激的で予測不可能な言葉を使ってホレホレここはどうだ?と脳皮質のいろんなところをグリグリしてもっともっととかもうやめてーとか相手の本音の反応を引き出して楽しむ。かたや子供のように純粋で孤独な言葉を相手にさらけだしぎゅっと抱きしめあう。まだ氏の唄をちゃんと聴き始めて間もない自分が判ったように言うのもなんだが、氏の紡ぐ詩の遍歴は、前戯や体位に趣向を凝らすスタイルから肌と肌、体と体をぴったりと重ねて一体感/安心感を確認するスタイルへの変遷であるのかもしれない。 …と無理にまとめようとしているが、ミチロウ氏がストイックなんてとんでもない、前言撤回する。氏は知能犯的快楽主義者だ。

スタンダードな弾き語りフォークスタイルとアンプラグド・パンクなハードフォークスタイルを混合し、中盤ではOTIS!のマスター佐伯氏のパーカッション/エレキギターのサポート参加もあり、ハードなストロークでぶち切れたギターの弦を佐伯さんが張替えつつも(その間はもう1本のギターを使用し、それもまたハードストロークで弦が切れてしまう)張り替えたのみでチューニングが十分にされていないのでしょうがないのでステージでミチロウ氏が耳チューニングをしたり、思い出したようにぼそぼそとミチロウ氏が素朴なMCをしたり、で気がついたら2時間以上の濃密なライブ。開演前は”たった一人でやるから1時間ちょいぐらいじゃね?”とたかをくくっていた私がお子様だった。本日ヒロシマにて紡がれた氏の”細胞の断片”は以下のとおり。正確な曲順は覚えていないので年代順に。ひょっとしたら抜けもあるかも。

ライブ終了後、わずかな枚数ながらCD/DVDの物販が行われる。『我自由丸』が収録された「I.My.Me/AMAMI」を購入しようとしたが人波に乗り切れず目の前で最後の1枚が持ち去られてしまった。 物販購入者が購入品のフィルムを剥がしながら列に並ぶ中、家から持参した詩集を差し出す。「×××くんへ*3」という呼びかけ付きで、ライブ直後で疲れているであろう手でサインをしてくれた。「8月(6日)にまた来て下さい」とお願いして握手をしてもらった。

ライブ前に食べたラーメン屋で再びタカキくんと軽い打ち上げ。お互い満足だった。

*次回の個人的ライブ予定 … 凛として時雨@広島ナミキジャンクション 2007.5.11(Sun) …日曜だから行ける、はず。

*1:2004年に悪くした胃潰瘍は再発していないようだ。良かった。

*2:投げかけ、というよりはこの表現がふさわしい。

*3:”〜さんへ”ではないことに、何だか氏は大人だなと勝手に思った。