まだ逢わぬあなたへ

晦日の夜も、みぃ君をお風呂に入れて服を着せてミルクあげて寝かしつけつつ自分も寝る、といういつものパターンで終わりました。明けましておめでとうございます。まだ年賀状も掃除も何もできていません。でも毎日精一杯やっているので誰に後ろめたさがあるものか(伏目がちに言ってみる)。

alter-m-nn 2007/02/07 00:05
映画とか音楽とかの心を動かす物事にケリをつけるためにブログやってますが、振り返ると単に理屈ぽかったり貧弱な含蓄が無秩序に行進していたり、自分が書きたかったのはこんなんかなぁ、と思うことしばしばです。 
キング先生が「頭の中で考えているときには無限に思えることでも、いざ口に出してしまうと、実物大の広がりしかなくなってしまう。」と言っていたとおり、自由な精神には言葉(文章)は一生追い付けない。
本当に自由な精神を反映させた文章てのは”ゆるさ”や”スキ”があって、読み手がその”スキ”に対して勝手な想像を働かせたりすることでイメージが勝手に膨らんでいくものなんだとメロさんの文章読むといつも思います。 昨日のメモの「デバイスとしての…」の件りにはきゅん、となりましたヨ。


メロ 2007/02/07 03:29
コメントありがとーございます。そうなんですよねえ、いざ文字にしてみると「自分が書きたかったのはこんなんかなぁ」って思ってしまうんですよねえ。「言葉はいつも想いに足りない」ってやつですね。わたしはちょっとズルいっていうかセコいところがあるので、書ききれない!と思うと、意味ありげなところでぶち切って、ポイッと投げてしまうところがあります(笑)。実際の大きさがはっきりしちゃうとがっかりするから、わざと欠落させて、本当の大きさをごまかすという……。はっはっは。それでも、きゅん、となってもらえると、やっぱりうれしいです。わたしが考える自由な文章は、その文章が書かれたことで、書き手も読み手も解放されるような文章ですね。たとえば、こんなの見たことない! デタラメなのに真実! みたいな。それはalter-m-nnさんのいう”ゆるさ”や”スキ”のことなのかもしれませんね。


alter-m-nn 2007/02/08 09:49
いちいちごめんなさい。上のエントリー(説明略)読んでむしょうにドキドキしてしまって。
私の場合、ツボ映画を観てうわーとなった心のやり場を探すために言葉を連ね始めたのが6年くらい前で、当時はブログもなくて知り合いのHPのコラムコーナーに使ってもらったりその映画館の掲示版に長文を書き込んだり。…でその文書は局地的ながら反響があって読んでくれた人とメール文通が始まって(それが今の相方で)。
それはまさに「見知らぬ自分に似た誰か」に(運良く)届いたということで。でも今の自分の文章はその頃の”うわー”という気持ち、ちっちゃい子供が”ねぇねぇ、おかーちゃん、あのね、あのね、スゴいよー!”とバタバタするような初期衝動がぱったり欠けているんだなぁ、と思って。
で、ドキドキしたのはそんな初期衝動が寝返りをうち始めて。(また起きるまでにはもう少し)
言葉は心には一生追いつかないのだろうけど、それでも追いかけていくのは楽しいですよね。


メロ 2007/02/09 15:34
alter-m-nnさん。何をあやまることがありますか! このエントリ書いたのは(リンク先略)でコメントいただいていろいろ思い出したからなので、むしろまたコメントいただけて書いた甲斐があったというもです。ワーイ。
で、あたくし思ったんですけど、言葉は心には一生追いつきませんけども、ときどき心を超えるんだよね! で、超えるのってどういうときかというと、受け手が存在するときなんすよね。それは文章を書くときに思い浮かべてた人かもしれないし、見知らぬ自分に似た誰かかもしれないし、将来の自分かもしれないし、まあとにかく、書きつけておくことが起点となって、それを受け止めてくれた人との間に橋がかかって、心よりも先に到達することができる!なんかそれが文章を書く意味のひとつかなって、今ピコーンとひらめきました。書くときとそれを読み返すときは絶対にタイムラグが生じるわけで、そう考えると、自分で書いた文章が自分の心そっくりそのままにならないっていうのは当たり前なのかもしれません。でも、だからこそ、書くことは心を超えることができるんじゃないかと思うのです。
わたしの文章がalter-m-nnさんの心拍数を上げたのも、alter-m-nnさんの文章が相方さんとの出会いを生んだのも、書いてる時点ではまったく想像し得なかったことなわけで。インタラクティブたのしー
どうでもいいけどわたしも夫と出会ったのは文通です。しかもメールじゃなくて郵便ていう。はっはっは。

時かけ』の感想を求めてネット漂流して知ったメロさんの文章に触発されて約1年、このブログでやってきたことはヒット数上げるとかアフィリエイトで稼ぐとか、ましてや子育て日記とは無縁の、「見知らぬ自分に似た誰か」が求めるような情報 ―THE WILLARDとかDER ZIBETとかAUTO-MODとかのむかーしのディスコグラフだったり、サロンシネマのフィルムマラソンのことだったり(あ、これは逆にこの1年でモチベーションが落ちてしまったので違うか)について、上にもあるように”映画とか音楽とかの心を動かす物事にケリをつけるため”という理由と”自分が読みたい記事を誰も書いてくれないから自分で書く”というスタンスでやってきました。そうは言っても忙しくてブログどころじゃないよという現実もありますが、記事ごとに付いてくる検索キーワードリンクリストの端端から”ああこんなキーワードで来てくれたのね、少しはお役に立ちましたか?”という少し神妙な気持ちにもなったり。

この年末までに書きたかったことはまだ他にも

あとはこのブログの存在を相方に公表すべきかどうかの検討が…

まだ逢わぬあなたへ。今年もよろしくお願いいたします。