"foggy midnight session"@CLUB 24 YOKOHAMA(行ってないけど)
- We Love You
- Nervous Red Friday
- But Sun Is Too Bright
- 3 Years
- Angel Trip & Lucifer Kiss
- Ever Risin'
- Lightning Scarlet
- Down The Rotting Street
- Alice In Borderland
- In The City Of White Light
- Soho Lovers
- Misery
- Vampire Nite
- Highway Man
- Speed Addict
- David James
Encore.1
- Horror Train
- Stinky Vice
Encore.2
- Uruwashino Baby
- Sweet Bad Journey
『Lucifer Lives』再発記念ライブといってもいい内容。セットリストが発売当時:90年代前半の穴井氏(そしてKYOYAが)在席時のライブを彷彿とさせますなぁ。
数多くのロックバンドを渡り歩いた穴井氏はWILLARD加入直前にルースターズ最後のメンバーとして在籍していたのは有名?ですが、同期のドラマー三原重夫氏がホームページで氏を語っています。
その凄い男は、リハーサルスタジオに現れた。茶色いコールテンかなんかのスーツ着て、ベージュのスラックスはいて、白いレインキャップみたいのカブって、革靴履いて、なんだか忘れたけど凄い原色のボディーの金色のパーツの付いた新品のプレシジョンベースとでっかいカバン持って、ひげ生やして、眉間にしわ寄せて、ずんぐりむっくりして。
「よ!」とも「お!」とも「ぬぉ!」とも「むお!」とも聞こえるあいさつをした。
この頃穴井は九州に帰っていたのだが、ルースターズをやるというので、ビデオレンタル店の店長を辞めて東京に出てきた。その決意がこの時のいでたちな訳だ。「確かに凄い。」どういう人なんだろう?
穴井は心配したより、ずっと普通でいい人だった、真っ直ぐな博多っ子。新参者同士すぐ仲良くなった。
語尾に必ず「くさ。」が入る。「ほんでくさ、俺がくさ、まーた言わんで良いのにくさ、ゆうてしもうた訳よ、ほしたらくさ、えらい怒りだしてくさ。」(それでさあ、おれがさあ、また言わなくていいのにさあ、言っちゃった訳よ、そしたらさあ、えらいおこりだしてさあ。)関東弁の「・・・さあ、」の場所に必ず入る。穴井は特別多く入る。
ずっと後の話だが、僕がソニーの新人開発部門でプレゼンライブのバックをやっていた頃、あるユニットのバックを僕がやる事になり、「誰かベースいないか?」というので何人か当たったがダメで、最後にダメもとで頼んでみたら、やってくれたことがある。
リハも少なく、穴井は「できるやろかねー。」「覚えきらんねー。」とか弱気な事をずっと言っていて、実際でっかい譜面を置いて、本番にのぞんだ。すると何やら、右の方で聞いたことも無いフレーズが物凄い音圧で物凄い勢いで炸裂した、それもやたらバッチリ。カッコ良い。驚いてはっと穴井を見ると、穴井は僕を見てニヤリと笑いやがった。
笑うしかなかった。
穴井がその頃テレ東で再放送していた「木枯らし紋次郎」を全部録画しているのを知ったのもその時だった。
だからと言って、僕が「にきっちゃん」を誉めるのはそれを今度貸して欲しいからでは断じてない。
貸して欲しいが。
…三原氏のホームページは非常に面白く、また当時のシーンや音作りの考え方について含蓄も多いのでついつい読みふけってしまいます。
朴訥な九州人の穴井氏とJUNとの相性が果たしてどうだったのかは判りませんが今のサウンドの基礎となったTRIAD時代のボトムを支えたのが穴井氏だったのは間違いありません。セニョール。
穴井氏のこれまでのお仕事については↓のファンサイトが詳しいです。
穴井仁吉ファンサイト:http://anainikichi-fan.net/