『ローマの休日』

【解説】(allcinema ONLINE より)
ローマを舞台に某小国の王女と新聞記者とのロマンチックで切ない恋の夢物語……と書くのもおこがましいほど、あまりにも有名な“世紀の妖精”オードリーのアメリカ映画デビュー作。ローマの観光地巡り的な平凡な作品に成りかねない内容をここまで素晴らしい作品に仕上げたワイラー監督の演出力には文句のつけようもないが、何と言っても最大のポイントはオードリーの上品で可憐で清楚で……と、上げればきりがないほどの魅力の全てをフィルムに焼き付けた事に尽きる。とにかく必見のアカデミー主演女優賞、衣装デザイン<白黒>賞、脚本<原案>賞受賞作。尚、赤狩りの犠牲になったダルトン・トランボがイアン・マクレラン・ハンター名義で脚本を担当していたことが1993年に公表された。2003年9月、「製作50周年記念デジタル・ニューマスター版」が劇場公開された。その際にはダルトン・トランボが本名でクレジットされている。無謀にも「新・ローマの休日」と言うリメイク作品がある。

ダルトン・トランボが脚本に託したのは”信頼”という奇跡。名声欲や保身に心が揺れつつも自分を信頼してくれているか弱き存在を、そして自分の良心を守り通す、人間としての誇り。

■クライマックスの、言葉にならない二人の思いの通じ合いも美しいのだが、一連の騒動のあとペックのアパートに戻った二人がラジオの報道を耳にして改めて互いの立場に気付くシーンが胸を打つ。魔法が解けるまでのタイムリミットは近づいている。さっきまでは楽しく微笑みあえたジョークも今ではガラス細工のようにはかなく虚しい。これ以上はどんな言葉も今日の夢を味気のない現実に引き戻す禁呪。静かに狂おしく唇を重ねた二人は、再会を誓うことすらなく曲がり角で思いを断ち切る─。

■この映画、もしくはこの時代の映画の持つ、もっさりとした”間”。でもその”間”があるからこそ、ペックやオードリーの表情や感情、ファッションや風景に見入ることができるわけだが。
■きっと当時の観客は、映画を観ることにずっと貪欲で、画面からいろいろな情報や感情を得ようとして、それこそ食い入るように観ていたはず。でも現在の映画を観る人々の大半は、画面から溢れてくる(≒たれ流される)イメージを受動的に受け入れることが主になっているだけ…安くないお金を払って劇場で見るなら、もっと貪欲でなくちゃぁ。