オール寺島進ナイト@松山シネマルナティック

─今回、寺島さんにシネマルナティックに来て頂きたかったのは、映画の他にも舞台とかテレビとか表現の現場はあるにも関らず”映画にこだわって出演なさっている”ということがすごく嬉しい、ということがあります。
テレビの現場は事務的というか流動的というか、生理的に向いてないという感じがしたんですよね。でも映画は残るものだし、手作り感があるし。映画に出て、別に名前と顔が一致していなくても、映画館にこうやって足運んでくれるファンの人達が大切だなと思うし、そういうファンの人達は裏切らないだろうし。自分も役者として映画が好きになっちゃったからヘンに浮気したくないっていう気持ちだけは譲れない

いわゆる「映画人口」の減少がデータとして証明されるようになってから、かなりの年数が経過している。多くの人々が映画を、特に日本映画を見なくなった理由には、観る側の映画俳優に対する思い入れが出来なくなったこと−言いかたを変えると、観ていて、”この人って何て魅力のある人なんだろう”というこちらが思い入れの出来る俳優が少なくなったこと・思いを入れて役作りをしてくれる俳優が少なくなった−こともあるのではないかと思う。映画をヒットさせるため、出来は二の次で有名スターを投入するやり方や、企画や話題度を優先して俳優が充分に役作りする時間を与えないような映画づくりでは、作り手も客も育つはずがない。そんな映画を観に行く人間は、俳優が好きだから観るのではなく、知っている俳優が出ているから、という刹那の安心感で観るようなものだ。

去る6月の広島・横川シネマでのイベントの約5ヶ月後、愛媛・松山市のミニシアター「シネマルナティック」にて、”寺島進オールナイトイベント”が開催された。一般的な知名度は低いけれど、心ある映画観客であれば男女問わず「寺島進、いいよね」と言わせるだけの存在感の持ち主である。

−愛媛の印象はどうですか?
愛媛は、知り合いの方の実家に遊びに行ったことがあるんですけど、そこはヤクザか漁師しかいないような、すごいガラの悪いところで(笑)。でも、人の絆とかあって、優しくて、あったかくて、東京にはちょっとないような人情のあるところで」(会場から拍手)

”進兄さんのどこが好きか?”と聞かれたら、下町的な”男気”が伝わってくるところだろう。義理人情という言葉が、役者という仕事に対する真剣な姿勢や役柄にも表れている。

─ヤクザや刑事の役が多いですけど、寺島進という個人が持っている個性が役を呼んでいるのか、それとも監督さんから要求されているのでしょうか?
多分、監督さんのイメージだと思います
─実際にはそんな冷たい感じではなくて、『おかえり』のような優しい目をした部分もありますよね。
全部持ってますよ。人間の喜怒哀楽って優しいとか哀しいとかだけじゃなくて、拳銃で人撃ったり殴ったりしても、気持ちが掻き立てられた衝動のアクションであって。人間は一面性だけじゃないから、それはヤクザでも政治家でも寿司屋の職人さんでも、その時々内面に潜んでるんじゃないかって思う

今回の上映作品は上映順に『おかえり』『ワンダフルライフ』『あの夏、いちばん静かな海』『エレファントソング』の4本。意図的なのかどうかは判らないが、血も拳銃も登場しない、ヤクザでも刑事でもない4作品のラインナップとなった。横川シネマの時と同様に、上映前には劇場支配人とのトークと参加者からの質問コーナーがあった。本レポは、上映された4本の映画に絡めた、その時の質問や進兄さんのコメントからの再構成ですが、実際の順番どおりではなく、またやりとりの全てではないのでご了承を。


『おかえり』(1996)

─『おかえり』の主人公像はどのように作っていったのですか?
撮影期間自体はたった3週間だけだったんですけど、監督と脚本の打ち合わせに二ヶ月くらい費やしたんです。相手役の上村さんは舞台出身の人で映画は初めてで、息を合わせるために何度もリハーサル重ねたりしたのがよかったのかなぁって思いますね。例えが悪いんですけど、セックスで前戯と後戯があるとしますよね。撮影に入るまでの準備期間で、撮影が終わったあとに、時間をかけて編集してもらって熱く宣伝してもらって、それで上映されたときに赤ちゃんが誕生したって感じで、そういう体験ができたことが今後の役立てる鍵なのかなーって思うんですけど

自分が進兄さんを初めて観て気になりだしたのは北野監督の『ソナチネ』だったけど、進兄さんのファンになったのはこの『おかえり』。その要素として、映画の中の進兄さんの”台詞の選びかた”に好感が持てたことが大きい。観た当時、多くの映画での役者の口調について、不自然なほどの活舌のよさや、日常そんな言葉使わねぇよというあまりに芝居がかった台詞まわしに辟易し始めていたころなので、例えば進兄さんが病院で医師に対して自分の気持ちを告げるシーンの台詞の朴訥さ(=誠実さ)が印象深かったのを覚えている。

劇中で、海の音が聴こえる小高い丘が印象的に数回使用される。百合子がひとり丘の上に立ち遠くを見つめる姿を、孝は最初のうちは離れて見ていることしかできない。二人はぶつかりあいやいたわりあいを繰り返し、最後は丘の上によりそい立って遠くを見つめる姿で映画は終わる。

谷川俊太郎の詩『ここ』のように、互いの気持ちが交わりあえる場所を探してそれが見つかったときにお互いに対して発することば、それがこの映画のタイトルなのかもしれない。

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく
谷川俊太郎『ここ』)


ワンダフルライフ』(1999)

【解説】(allcinema ONLINEより)
死んだ人が天国へ辿り着くまでの7日間に最も大切な思い出をひとつだけ選ぶ、という設定を通して人生の意味について見つめ直した物語。監督は「幻の光」の是枝裕和。天国の入り口にやって来た22人の老若男女。彼らはこれから7日間の間に大切な思い出をひとつだけ選ばなければならない。人はその思い出だけを持って天国に向かう。思い出は職員の手により撮影され、最終日に上映会が開かれることになっていた。さっそく職員たちは死者たちから思い出を聞き出し、撮影のための準備を進めるが…。

─これまで演じた役柄の中で、自分に合わないと思った役は何ですか?
合わない役は………『英雄計画』(場内笑)

黒沢清監督の96年の作品『勝手にしやがれ!! 英雄計画』は私は未見だけど、神楽坂さんいわく”ゴミ・くるくるぱー”ということだ…。イメージに合わないということではないが、この『ワンダフルライフ』でもパブリックイメージ(刑事orヤクザor下町のあんちゃん)とは異なる”メガネ・着流し(一瞬)・鼓笛隊”の進兄さん観ることができる。

この映画を観る人は、思い出を探す人々のドラマを映す白いスクリーンの向こう側に、自分自身のこれまでの”生”の一瞬一瞬を思い浮かべ、”自分にとっての大切な思い出”を考える。私自身の現時点での二十数年間の中で選ぶ思い出は、二十歳のとき、ある人とのやりとりの中で、”人を好きになる”ということを鮮烈に実感できた出来事・その瞬間のこと。それを超える思い出を与えてくれる人には、これから出会うことができるのだろうか。


あの夏、いちばん静かな海。』(1991)

【解説】(allcinema ONLINEより)
聾唖の男女が織りなす恋愛模様を綴った、北野武監督第3作。北野作品唯一のラブストーリーであるが、言葉による説明を一切排し、主人公たちを覚めた視点で捉えるなど、既存の恋愛映画とは一線を画した仕上がりになっている。“キタノブルー”と称される透明感のある映像や省略の妙も秀逸。また、本作が初参加となった久石譲の哀しいメロディが心に染みる。出演に真木蔵人、大島弘子、寺島進聴覚障害者でゴミ収集車の助手をしている茂。ある日、粗大ゴミに出されたサーフボードを拾った彼は、サーフィンをはじめる。

─ご自分では”役者としてはまだまだ”って言われてますけど、この世界では”中堅・寺島進ここにあり”という感じがします。ご自分より若い俳優さんで、「こいつ面白そうだな」っていう役者さんはいらっしゃいますか?
若い人?浅野(忠信)君とか真木(蔵人)君とか面白いと思うけど…他はいない、以上!

この質問は私から。下心としては、『キッズ・リターン』の二人−金子賢安藤政信の新人二人の名前を進兄さんの口から言わせてみたい、という気持ちがあった。しかし、既に自分の色を持った俳優として上記の二人が出てきたことにも納得できる。偶然ではあるけれど、二人とも二十七歳であり、私と同じ年齢。同じ世代の人間が、俳優という世界の中で既に地位を確立し活躍していることは嬉しくもある。

真木蔵人であるが、彼の出演作を数多く見ている訳ではないけれど、阪本順治監督・豊川悦司共演の『傷だらけの天使』シリーズの2本での彼の自然な(ダメっぷり)演技には感情移入と好感が持てた。この『あの頃〜』では聾唖者という役柄で、彼の喜怒哀楽のこもった表情・台詞が見ることができないのが残念ではある。

この作品は北野監督作品の中で私がいちばん好きな作品なのだけど、改めて見直すと久石譲の音楽が鳴り過ぎだなぁ、もう少し抑えてくれたらちょうど良いのに…と思う。また、エンドロールで初めて登場するタイトルロゴの処理もなんだかセンチ過ぎたり、終始一貫して抑えた演出も出来たはずなのに端々で蛇足的な演出過多が鼻についてしまう。この作品に関らず、北野監督という人は、『HANA−BI』では最後の最後のカットで自分の娘をわざわざ意味ありげなシーンで登場させたり、明石家さんまとのトークバラエティ番組で当時完成したばかりの『キッズ・リターン』の最後のシーン/最後の台詞について嬉々としてしゃべってみたり、それさえなけりゃぁいいのにと思ってしまう子供っぽさを感じるところが監督にはある。

小言ばかりになってしまったけど、この作品で一番好きなシーンは、2回目のサーフィン大会での入賞トロフィーを抱えた二人が記念撮影を行なうシーン。主人公にとっては恐らくそれまで生きてきた間に、そんな風に何かの形で認められたことも、または認められるほど何かに打ち込んでみたこともなかったのだと思う。優勝なんて大きなものではなく、”6位入賞”という小さな彼のトロフィーと、それを抱いた彼を少し誇らしげに見つめる彼女。前記の『おかえり』でも述べたが、互いに心を寄せる者同士が本当に心を重ね合わせることのできた瞬間−それが二人にとっての全て。茂を失った彼女が最後に選んだ思い出であり、また見ている側にとっても。


『エレファントソング』(1994)

─寺島さんのように映画への情熱を持って作る人もいるのに、あまり日本映画自体が観られていないと思うんです。作る側と観る側との間に溝があると思うのですが。
日本アカデミー賞みたいなイベントをテレビで盛り上げるような組織の人たちが古すぎるんだよね。過去を引きずり過ぎるというか他の日本映画を見ていないというか、その溝はそこから来ていると思うし、あと作る側が客観的になれていない。この前もある役者さんと対談したんだけど、”『ナビィの恋』よかったよ”って言っても観ていないですし。有名になってお金ができてそれで満足しちゃっていいのかなんて思うけど、そういうのには五十年後には勝てる自信あるし大体それを変えていこうと思って頑張ってますから。
─あと、寺島さんはメジャー映画には出られていないと思うんですが、インディペンデントに拘りたいという思いがあるんでしょうか?
そういう話がない!(会場爆笑) 『ISORA』にはエキストラとして出てるし、『天国からの100マイル』にも出てますが、出会いだろうね。映画やってるからって別に特別なわけじゃないんですが、その出会いの中でたまたまインディペンデントの人たちと出会う運があって、自分がそういう人たち気にしているからそういうアンテナに反応するというか波長が合うというか。日本映画は本当に判んないですよ。メジャーといっても、世界はインディペンデント映画を評価しているわけだし。

・・・で、『エレファント・ソング』ですが、横川ナイトに続き、また眠りに入ってしまって見れませんでした…。


映画のフィールドについて、別にメジャーを否定するわけではなく、インディペンデント至上主義というわけではない。メジャー作品の中でも志の高い作品は皆無ではないし、自己満足に終わっているが故にインディペンデントの粋から出られない作り手もいる。

”卵が先か鶏が先か”の論議になるかもしれないが、結論としては「よい観客がよい映画を育てる」のだと思う。魅力的な俳優が出ている映画であれば、”○○さん素敵でした”で終わるのではなく、その映画が果たして俳優の魅力を100%以上引き出せるだけの脚本や演出であったかどうかも意識すべきだし、時には”あんな映画には出ないで欲しい”という苦言も呈すべきだと思う。進兄さんはよく「縁あって」という言葉を使うが、メジャーかインディかは関係なく「悪縁」もありうるのだから、そこは外野席から観る側の我々がヤジを飛ばすことがあっていいと思う。それは決して無責任な行為ではないと思う。観る側が”自分たちがよい映画の育て手である”ことの誇りや責任を持ちさえすれば。