吉祥寺バウスシアター

85年はインディーズ系のバンドにとって最良の年であった。それを印象づけたのがこの年2月末から3月3日まで吉祥寺バウス・シアターで行われた”ジャスト・ア・ウィーク”と題され一週間続いたギグだった。とりわけラフィン・ノーズとウィラードという二大パンクバンドの出演した3月2日のギグは圧巻だった。その頃ウィラードは発表するEPが即日完売、ラフィン・ノーズも活動拠点を東京に移し、本格的な東京デビューの日であった。この日の出演順は今はなきマスターベイション、ラフィン、ウィラード。ラフィン、ウィラードと続いた演奏はブレイクを必要としないほど熱く展開された。バウス・シアターの定員を大幅に超え、客が外に溢れ吉祥寺はパンクスの街となってしまった。中に入れたのは600人、入れずに帰った客約1000人。加熱ともいえる盛り上がりであった。それもそのはず、ラフィンとウィラードが共演したことは現在までこれ一度きりである。それにウィラードの演奏の時にはチャーミーが飛び入りし、JUNとともに「スティンキー・バイス」を合唱したのだ。この日を境にインディー・シーンは質に加え量が勝負の時代に突入した。ウィラードのLP「グッド・イヴニング・ワンダフル・フィエンド」は軽く一万枚を越え、ウィラードの好ライバル、ラフィン・ノーズはひと足先にメジャー・デビューを果たす。パンク、そしてインディーの概念を根底からくつがえしたバンドがラフィン・ノーズとウィラードであったのだ。。(『宝島2月創刊号 ROCK FILE Vol.1』1988年)