SOUND MARINA 2008@広島

涼しくなったかなと思ったのもつかの間残暑がまだまだ鬱陶しい今日この頃。今年の夏のいちばんの思い出は【バービーボーイズの再結成】であります。と言っても夏フェスどころかろくに外出しなかった自分が言うのも何ですが、まぁ書かせてください。すべて過去形+伝聞形なので申し訳ありませんが…

前身のバンド活動やコンテスト優勝を経て1984年、バービーはシングル『暗闇でDANCE』でデビュー。このときイマサ24歳、KONTA・杏子23歳。 自分がバービーの存在を意識したのは中学1年、85年に彼らが渋谷公会堂ライブを成功させた頃。当時購読していたソニー・マガジンズ発行の月刊誌「GB」に記事が掲載されていたアーティスト*1の中で、他のどんなバンドにも似ていない佇まいと雰囲気があって、音を聴く前に勝手に青田買いしてファンになっていた*2
同年11月に出た2ndアルバム『FREE BEE』を、高校生の兄貴にLPレンタルしてきてもらいテープに落としてもらった。シンプルだけど綿密に計算されてきめ細かなフレーズを連発するギター、楽曲のスピード感、スリリングなツインボーカル、予測不可能なメロディライン、予定調和的な甘いフレーズと全く無縁な言語感覚…、そんな理屈は当時判らないままとにかく夢中になって、遅れて1stアルバム『1st OPTION』、86年には3rdアルバム『3rd BREAK』を購入、こちらも聴きまくる。坊主頭の厨房には歌詞の本当の意味や艶かしさが十分に理解できるはずもなく、あくまで曲のノリ、スピード感を楽しんでいた。バンドをやっていた訳ではないけどバンドスコアを買って右手でギター/左手でベースラインをピアノで再現しようと考えたこともあった。(結局買わなかったけど)。
翌87年(当時中学3年)の4thアルバム『LISTEN!BARBEEBOYS4』の頃にはシングル『女ぎつねon the Run』や『ごめんなさい』のテレビ露出で、田舎の中学生の間でもすっかりメジャーになっていた。このときイマサ28歳、KONTA・杏子27歳。
翌88年にはベスト/リミックス盤『Black List』のリリースはあったもの、オリジナルアルバムの発表はなし。コンタの映画主演(『ふたりぼっち』)やユニット”RADIO−K”の活動等、バンドのメインの活動が少し薄くなる。 そして自分は、デビュー当時のBUCK-TICKや活動を復活させたWILLARD、ブレイク寸前(で結局しなかった)DER ZIBET等の、”BOØWY以降〜イカ天以前のバンド群*3”に嗜好がシフトして、バービーは次第に聴かなくなってしまっていた。
その後バービーは『目を閉じておいでよ』等のヒット、CM起用、アリーナーツアー等を行うもメンバーのソロ活動の比重が増えて、92年解散。このときイマサ33歳、KONTA・杏子32歳。ちなみに自分はと言うと、SOFT BALLET、LUNA-SEA、ZI:KILL等の”ビジュアル系前期”バンドに傾倒。大学に進学し、それらのライブ会場にも足を運ぶ日々。
バンドの解散理由についてイマサは”バンド/メンバーの活動で大きなお金が動くようになってメンバー間やその取り巻きの間がギスギスした”というようなニュアンスを発言しているけど、それは内的要因のひとつに過ぎないと思う。80年代末から多くの若くて勢いのあるバンドが台頭していくそばで、勢いやセールスを維持するのも難しくなっていただろうし(これは他の80年代前半デビュー組すべてに言えるのだけど)、そして何より、三十路を越えて男と女のかつての緊張感を保ち続けることができなくなったことがが大きいのではないか*4。年齢的にも、彼らが”つきあい始めた”23、4歳のころから”最高に盛り上がった”27、8歳くらいまでの4年間がまさにエロかっこいい年齢だったのだと個人的には思う。



そんな彼らの”再結成”は03年の『LIVE EPIC 25』にて、このときイマサ44歳、KONTA・杏子43歳、既にデビューから20年の経過である。EPICソニーの設立者である丸山茂雄氏への敬意(義理だて)での一時的な集結ライブであったようだが、この時の音源・映像がバービー出演分が丸まるカットされているのは”メンバー周りのビジネスサイドの権利問題のため”とまたイマサは発言している。しかし正直、その歳でどうなんかなぁ、観たとしても後悔するんじゃないかなぁ…という思いもあった、その当時。

しかし今年の4月、「SMAP×SMAP」にて「この番組のためだけに(キムタク談)」「ついうっかり(イマサ談)」再々結成。
『女ぎつね on the run 』 ※演奏はオケ。木村・稲垣も歌うんならハモりぐらいすればいいのに。



そしていよいよ(前段がやたら長くなったけど)、今回の再々々結成。北海道と広島という僻地フェスを選んだのは中央での華々しい活動再開のための前哨戦なのか?フェスには行けなかったけど、ネット/ブログ界隈での彼らのライブの評判は概ね”熱い“感想ばかり。しかしそれは、当時の(自分のような)R35以上のファンがタマシイムマシンで約20年前に戻って【焼けぼっくいに火がついた】状態なのかとも思ったけど、少し違う世代のタカキくんの感想を借りると、

  • コンタ氏のピリピリとしたヤヴァいオーラが非常にカッコ良かったです。
  • 目つきのヤヴァいコンタ氏やひらひら舞い踊る杏子嬢が映し出されて、ヒット曲を立て続けにやられた辺りでノックアウトでした。
  • 他のメンツがいわゆる現在のJ-POPの人らばっかりで、言い換えれば"等身大"な世界感を打ち出して大衆に受けてる人らの中で、唯一、気取ってカッコつけて観客を挑発するステージング。最高でしたよ。
  • 紆余曲折を乗り越えた大人の魅力と気迫。素晴らしかったです。

と絶賛ではありませんか。素晴らしい! しつこいようですが、今年でイマサ49歳、KONTA・杏子48歳。

【2008.8.15 RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008@北海道 】と【2008.8.23 SOUND MARINA 2008@広島】の共通セットリスト*5は以下の通り。

SE:『男と女』

  1. ノーマジー
  2. を閉じておいでよ
  3. 女ぎつね on the Run
  4. ふしだらVSよこしま
  5. 離れろよ
  6. 負けるもんか
  7. C'mon Let's Go
  8. ショート寸前
  9. マイティウーマン

1から3はフェスだから、ということでメジャーな曲でごあいさつ…と来て夏フェスに合わない暗さの4とは。「よこしま」という言葉の意味が判らない若年層も多分に居た模様。ヒリヒリとスリリングでスピーディな5、6の次の7は林檎嬢がセレクトしたカバーもその筋で有名になったようですね。
東京事変『C'm'on Let's go!』 ※もうちょっと林檎嬢にはハジけて欲しい。

ライブのオーラスはパワーと勢いを重視した8、9。特に9は間奏部分のギターソロ+サックスソロ/ビシビシしたリズム、が再現されていたのかが気になります。
コンタのMCも相変わらずの格好つけ下ネタ語りで会場が退いていたとかいなかったとか。

バービーの今後については白紙。でも多分、来年あたり何かありそう。そのときはイマサ50歳、KONTA・杏子49歳。そんな年代の男と女がスリリングに唄うこと自体十分、今の世の中での存在価値はあるのかもしれん。新曲?全く想像できません。でもきっと格好いいんだろうなぁ。『黄昏流星群』のような世界観にはならないと思いますが…。



おまけ:『目を閉じておいでよ』 (ワラタ)

(2008.09.06)

【タカキ氏コメント】
『正直、自分のイメージの中では、バービーのこと、もっとダサいバンドだと思ってた。
こんなに鮮烈な個性を持ったバンドだったとは思わなんだ。

実際、すますまに出た後に、やたらとアツいFAX・メールがFMでよく紹介されてたから、
そんなに人気あったわけでもないのに、なんでこんなに反響あるんだろ、と
不思議がってたのです。

イマサ氏曰く”全部思いつき”で出来上がったバンドのキャラ・音楽性だけに
ルーツも分かりにくけりゃ、フォロワーも出てこない、
強烈な個性を持ったバンドなんだと今更ながらも関心致します。

現在、黒地にバンドロゴがジャケの2枚組みベスト盤注文中なので、
きちんと聴いてみたいと思ってます。

邦ちゃんのものまね、すっごく好きだったんだけどなぁ。
多分今見たら笑えないと思う。』(2008/09/10 23:49)

【コメントへのオヘンジ】
『バービー含む当時のバンドのフォロアーがいないのは、簡単にコピーが出来るようなサウンドづくりでなかったから、というのもありますね。
80年代後期組からは中学・高校生がコピバン可能なような単純なサウンドがウケて、総じて音楽の低年齢化が進んでいったのであった。』(2008/09/11 08:15)

*1:レベッカ爆風スランプALFEE尾崎豊等が当時のメイン。教科書的な説明としては、”ニューミュージックの葬式”と呼ばれた国立競技場の音楽イベント「All Together Now」を経て、歌謡界にロック(風)アーティストが進出し始めた頃。

*2:周りにはバービーどころかロックを聴いている人間もいなかったので完全に自己満足の世界だったけど。よくある話だ。

*3:勿論BOØWYもリアルタイム世代。中学生の白い肩かけカバンの裏面にでっかいステッカーを貼って登校していた坊主頭の頃。

*4:詳細に論じることは難しいけど、【男と女が一線を越える】ことがスリリングな歌になれたのはやはり80年代ならではのことであって、バブルと寝て目が覚めたら廃墟だった90年代、恋愛の低年齢化が進んだ00年代にバービーが同じスタイルで生存することはとても想像できない。

*5:ちなみに、RSRとSM、両公式webのアーティスト紹介で「日本人ロックバンドとして初の東京ドーム公演を実現」って書いてあるけど、これは恐らく吉田豪の『バンドライフ』からの転用であり、そして大間違い。88年4月のBOØWYの『LAST GIGS』を忘れるのは恥ずかしいですよ。