Live@渋谷LIVE INN (1986.5.1)

前年10月に1stアルバム『』でデビューを果たし、12インチシングル『』発表直前のライブ。ISSAYの強烈なヨーロパン・デカダンス色からバンド色への移行時の演奏で、ロックンロールへのワイルドさへの興味が具体的に音にも見え始めている。当時レッド・ウォリアーズとの交流が始まっていたというのが、可笑しい。
「この時はや警備がやたら厳しくてさ、頭に来て俺客席に降りて”キスミー プリーズ”唄って、ついでに警備員殴って……(笑)。そしたらステージ上に客が20人ほど雪崩れ込んで、大ダンス大会になった」

  • Neo Flower Moon

この詞のイメージは、後の”GYPSY"の原曲。当時ISSAYは映画『ノスフェラトゥ』に触発されており、時間の経過に対する人間の無力さを唄っている。口先だけの「永遠」を盲信する世間一般の「ラブソング」に対する反発が窺える。スタジオ盤に収録されなかったのが不思議な、実は隠れた「名曲」。やはり袋小路でくるくる回り続けてる姿が切実だ。当時のライブの幕開けは常にこの曲だった。

  • My Love

デルジ結成以前のISSAYのソロ・プロジェクト時代から唄われていた曲で、ちなみに現ソフトバレエ森岡賢もその一員だった。1stアルバムのCD化に際し、ボーナス・トラックとして収録する計画もあったが、「いざ録ろうとしたら合わなくてヤメた(笑)」という、悲劇の曲。路線的には、”キスミー プリーズ”同様の象徴的なラブソングで、それはつまり自分自身に対するラブソングという、ISSAY十八番の屈折表現を意味する。彼の場合「あなた」と唄ってはいても、その二人称は常に実体ではないのだ。無防備で脆弱な「裸」の自分に対する煩悶と不安と憐憫が渦巻いているのがISSAYの個人主義なわけで、その美学が見事に対象化されている。「自分の部屋がテーマなんだ。心の中を晒け出して、時間と踊っているだけという」
後の『思春期Ⅰ・Ⅱ』で明らかにされた、音楽と本しか自分の向かう対象がなく、超内向性と錯乱を生んだ17歳の時の自宅六畳間軟禁生活という、ISSAYのトラウマが背景にあることは間違いあるまい。

  • MAD BOY

刹那的な詞とメロディが印象的な曲で、この詞のコンセプトは後の"DREAM CHILD"の原型。音自体は「当時バンドの心が動いていた」ダンス・ビートが基本なのだが、「僕らは打ち寄せられた海の泡だ」という自己消失表現は、あまりにも切ない。「自分はすぐに消えてしまうんだ」という脅迫観念と自覚に、シンパシーを覚える者は決して少なくあるまい。(市川哲史、Live album『official?』ライナーノーツ)