25年目のキス

【解説】(allcinema ONLINEより)
ウェディング・シンガー」「エバー・アフター」のドリュー・バリモアが、ひょんなことから17歳の高校生に成りすますことで巻き起こる騒動を描いた学園ロマンチック・コメディ。ジョジーは名門紙のコピー・エディター。高校時代はいじめに遭い、25歳になるのに本気でキスされたこともない。そんな彼女が10代の実態のリポートを命じられる。いやいや17歳に化けて高校に潜入するのだが……。

バリュー・ドリモア ドリュー・バリモアのラブコメ進出&プロデューサー兼任業が本格化し始めた記念的作品。とはいえ、ラブもコメも仕込みが甘く、展開も唐突*1。それでも最後まで観れたのはドリューとアークエット弟*2のキャラの造り込み、そして「学生時代にどんなにモテても社会に出ればそんなの関係ない」という身につまされるメッセージのため。

■高校時代だけではなくその前後を含め、学校という世界の中での10代の価値基準はとにかく「モテるかモテないか」だけ。どんなに勉強ができたってイケてない奴が異性と会話できるのは「プリント見せて」という便利屋代わりに使われるときだけ。モテない自分を必死に背伸びして見せようとして粋がって見せても薄っぺらいチンピラにしか見えない。かといって昼休みに図書館の隅で本を読むような奴らとは一緒になれないプライドがある。そしていつか思いはじめる─「自分はお前たちとは違うんだ」。そう思い独りでいることに慣れてしまうといつしか、本当に誰とも付き合えなくなってしまい、まともな人間関係を築くまでに相当の犠牲を払うこととなる。

学校なんて小さなバケツに過ぎない。そこから飛び出せばいくらでも自分次第で思い通りになる広い世界がある。それまでは何と言われようが何をされようが、自分が「これだ」と思えるものを大事に暖めて育てていけばいい。─自殺したあの子に誰もそう教えなかったのはなぜ?先生ですら、教室というちっぽけな社会の中で生きることしか考えられず生徒に迎合し、そんな先生はすぐに生徒から飽きられて学級は崩壊する。せめて、あの子の両親は、自分が広い世界で自由に生きていることを見せられなかったの?学校を卒業して社会で手に職をつけていつか家族を作っていく、そんな当たり前だったはずのことですら奇跡に思えるような時代になってしまった。映画の中で主人公を苛め倒すジョックスやクィーンズはまるで、自らの最後を悟り燃え尽きようとする蝉のようだ。




*1:ジョジーが学校の人気者になるためには弟の口ぞえだけではなく本人の努力を示すエピソードがないとプロムでの告白の台詞に説得力が欠けるのですが…。それとラストシーン、なぜ野球場なの?そしてなぜ来るの?

*2:プロムの扮装にてアークエットは『卒業白書』のT.クルーズの扮装(=白のワイシャツ・ブリーフ・靴下!)をするのだが、サングラスをかけると本人によく似ており、しかもはしゃぎっぷりまでしっかり真似されており笑った