ポビーとティンガン

解説】(allcinema ONLINEより)
日本でも10万部以上を売り上げたベン・ライスの世界的ベストセラーを「フル・モンティ」のピーター・カッタネオ監督が映画化した心温まるハートフル・ストーリー。空想上の友だちがいなくなったと言って元気をなくしてしまった妹と、そんな妹のため町の人々を巻き込んで友だち捜しに奔走する兄の姿を描く。
世界的なオパールの採掘地として知られるオーストラリアの田舎町。両親と一緒にこの町に暮らす兄妹、アシュモルとケリーアン。町の生活になじめないケリーアンにはポビーとディンガンという架空の友だちがいた。ところがある日、ケリーアンは2人がいなくなったと騒ぎ出す。そして次第に元気をなくし、ついには病気になってしまうのだった。そんな妹を心配したアシュモルは、ポビーとディンガンが妹の想像上の友だちと知りながらも、2人をなんとかして捜し出そうと立ち上がるのだった…。

■クリスマスイブにこの映画を観たから、いうことでもないが、ハリウッドのクリスマス映画の定番『34丁目の奇跡*1』を思い出した。”目には見えないもの”を信じること、そしてその存在をめぐる論争が法廷に持ち込まれるという展開から連想したわけである。しかし残念なことに、『ポビー〜』は『34丁目〜』ほどの幸福感をこちらに味あわせてくれなかった。その理由は、主人公の妹以外は誰も、”ポビーとティンガン”の存在を信じていないからだ。家族でさえもそうだ。幼い兄が無い知恵をしぼってポビーとティンガン捜索を続けるのは、妹のためではなく父母間のいさかいや周囲からのイジメ、といった現実から逃避したいからだ。妹を診察するドクターや変人の弁護士、葬儀場の主人といった家族をとりまくサブキャラにも、ポビーとティンガンの存在を何かのきっかけで信じさせることはできたはずなのに脚本は気をきかせてくれない。そのくらいの描かせ方をするのが映画ではないのか。

■『34丁目〜』では、主人公の呼びかけに対してニューヨークの街が、そこに住む様々な人々が、「我々はサンタを信じる」という意思表示を行なっていくという”嘘”がカタルシスにつながっていった。しかし『ポビー』は最後まで”嘘”をついてくれなかった。そこにあったのは、「空想癖を持つ娘に振り回され苦労する家族に少し同情した町の人の話」という尻の穴の小さい話だった。そんなもの誰が見たがるというのか*2

*1:1947年のオリジナル版『〜”奇蹟”』ではなく1994年のリメイク版『〜”奇跡”』のほう。世間の評価は他の映画の例にもれずリメイク版の評価は低い。しかし、R.アッテンボロー扮するサンタが聾の少女と手話で交流するシーンの少女の笑顔、D.マクダーモットのアプローチを断ったE.パーキンスがエレベーターの中で涙を堪える表情、アッテンボローがパーキンスに”私は皆の夢や希望の象徴なんだよ…”と語る含蓄、そしてNYに上記の”嘘”が展開していくシーン等、あざといけれども心を捉まれたシーンばかりで、私にとってはこの映画がベストなのだ。

*2:監督がピーター・カッタネオだから期待していたことも大きい。『フル・モンティ』はフロックだったのか、この映画には深刻な状況を笑い飛ばすユーモアすら見られないのが残念。