仁義なき戦い 広島死闘篇

解説】(allcinema ONLINEより)
仁義なき戦い”シリーズの第2弾。日本のヤクザ社会でも他に類を見ない壮絶をきわめた“広島ヤクザ抗争”を描くバイオレンス・アクション・ヤクザ映画。昭和27年、広島。一時休戦していた博徒の村岡組とテキ屋の大友連合会だったが、ここへきて再び抗争が勃発していた。博奕のトラブルから刑務所に入った山中は、3年後、仮出所早々、大友連合会の連中に袋叩きに遭う。それがもとで、山中はライバル組織の村岡組の組員となった……。

■一昨年の2003年は『仁義なき戦い』という映画にとっては節目の年だった。シリーズ一作目が劇場公開された1973年1月13日からちょうど30年、そして深作欣二監督が亡くなったのがこの年である*1。その節目の年に、映画発祥の地である広島*2で何らかのイベント(リバイバル公開)が行なわれることを期待していたのだがその想いは適わず。しかし、”原爆投下60年”というヒロシマの節目の今年、ようやく広島のスクリーンにて再会する運び*3となった。

ヒロシマ平和映画祭のラインナップに『広島死闘篇』が選ばれた理由は、終戦当時の原爆スラムがロケ地のひとつ*4となっているからだけではない。予科練に行きそこない(=死に損ない)自暴自棄となった北大路欣也が命を捧げる相手と信じた村岡組組長・名和広は、軍国日本国家がそうであったように、若い山中に黒い因果を含ませ利権争いの手駒として利用していく。欣也と恋に落ちた梶芽衣子(マブ。そしてその役名は英霊未亡人の象徴でもある)は、愛する男が国家の戦争とやくざの抗争により相次いで”犬死”にする悲劇に泣き崩れる。そして、肉親関係や業界のしきたりといった慣習を欲望のままに叩き壊す狂犬・千葉真一は、戦後の経済社会が産んだエコノミック・アニマルの原点だ。「うまい飯くって、マブいスケ抱くために生まれてきた」という彼の行動原理は、そのまま現在の”勝ち組”を自称する者たちのそれと変わることはない。戦争、そして戦後日本社会の縮図が、ヤクザ社会の中に激しく(ときに滑稽に)投影されているのが『仁義〜』という映画の魅力だ。

■殺人マシーン欣也と狂犬千葉ちゃんの暴走、そして対決が軸となる本作は、『仁義〜』シリーズ全5作の中でもバイオレンス度が高い。本作の中でも、名和弘に対して警察の人間が「ヤクザももう力の時代じゃないで」とわけ知り顔で説く場面があったが、実際にその台詞のとおりにシリーズ次作『代理戦争』以降は、チャカやドスによる魂(タマ)の取り合いではなく、盃外交によるパワーゲームがメインとなるためなおさら本作は血生ぐさい。そして現実の政治世界も冷戦時代に突入し、大国は情報と核ミサイルの数を競い、周辺の小国のみが殺し合いを行なう『代理戦争』の様相に変わっていく。

仁義なき戦い 広島死闘篇 [DVD]

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*1:監督がガンにより亡くなった日付が2003年1月12日。『仁義〜』の30周年はまさに目前だった。

*2:飯干晃一が持ち込んだ映画化企画に対して広島出身の岡田茂東映社長(現会長)はふたつ返事でゴーサインを出した。さらに、絨毯爆撃のように全編に繰り出される広島弁の台詞を執筆するにあたり、岡田社長の社内での罵詈雑言が非常に参考になったと笠原和夫氏は後に語っている。

*3:今回の企画上映にあたり、”『仁義〜』はスクリーンでは滅多に上映することはできない”と企画/劇場側はコメントしていたが、一昨年だったか、広島の隣の倉敷東映ではシリーズ5作+『県警対組織暴力』を特集上映していたのを知っているぞ。そうでなくても、『仁義〜』シリーズは浅草・新世界の名画座の常連番組であり、全国どこかの館で上映されていると思うのだが。前記のコメントは”客が入らないので一般の映画館ではかけづらい”というのが本音だと思う。

*4:本物のスラムが写るのは遠景の一瞬のみ。ドラマのロケは東映が京都に作成したオープンセットと思われる。『仁義〜』はシリーズ全体を通じて、広島で本当に撮影されたシーンは実は殆どない。