『初恋のきた道』

【解説】(allcinema ONLINEより) 
都会からやってきた若い教師ルオ・チャンユーに恋して、その想いを伝えようとする18歳の少女チャオ・ディ。文盲のディは手作りの料理の数々にその想いを込めて彼の弁当を作った。やがてその気持ちに彼も気づき、いつしか二人の心は通じ合う。しかし、時代の波「文革」が押し寄せ二人は離れ離れに。少女は町へと続く一本道で愛する人を待ち続けるが……。「紅いコーリャン」のチャン・イーモウ監督、「グリーン・デスティニー」のチャン・ツィイー主演のラブ・ストーリー

■この映画は一種の寓話だ。「ひたむきな思いは、かならずいつか報われる」というおとぎ話だ。そして私は、そんなおとぎ話をたまらなく愛する。
■舞台は、1950年代の中国の山間の小さな山村・三合屯。自由恋愛がまだ珍しく、そして、「一目惚れ」という感覚がまだ鮮やかに息づいていた時代。盲目の老いた母親と二人暮しの少女・ディは、村の小学校の教師として町から着任してきた青年・チャンユーに恋する。学校づくりの手伝いをするチャンユーのために、手作りの昼食を届けることが彼女の日課となる。 思いが通じあい始めたのも束の間、チャンユーは町に戻ることになる。「冬休みの前には村に戻る」というチャンユーの言葉を信じ、約束の日に雪の中待ちつづけたデイは、熱を出し倒れる。 それでもディはチャンユーに合うために、弱った体で吹雪の中に出かけて、町に到着する前に力尽き、再び倒れる。 ディの身を案じ村へと戻ってきたチャンユーとの一瞬の再会。しかし、二人が結ばれるまでには、それからさらに二年の歳月が費やされたのだった(*1)。
■ストーリーは極めて単純であり(*2)、チャン・イーモウの演出はあざといほどに純真なディの姿を描くことに主眼を置く。 村と小学校を結ぶ一本の道のそばでチャンユーが通るのを待ちつづける姿。 チャンユーを乗せて町へ向かう馬車を追いかけ、ひたすら走る姿。 教師不在のまま廃校同然となった校舎を掃除し、飾り付けを行い、チャンユーの帰りを待つ姿。 ただひたむきに、けなげに、溢れ出す恋する思いのまま行動するディの姿。また、ときめきや恥じらい、嬉しさや切なさ、といった彼女の表情の愛らしさに、こちらの感情もシンクロしていく(*3)。
■年齢を重ね余計な知恵や知識がついてくる程、相手に対する感情が打算的になっていくことがある。
あるいは「本当に私は相手のことが好きなのか?周囲への見栄とか世間体が先にあるのでは?」と自分の気持ちに自信が持てなくなり、いつの間にか熱い気持ちが失われていくこともある。
そんな心にこそ、おとぎ話は必要だ。「自分を信じよう/あの人のことを好きでいよう/あの人のことが好きだという気持ちを大事に抱きしめていよう」と思えるようになるために。



*1:チャンユーが町へと戻った理由として、当時の中国の文革化において彼が「右派」だったため、町へ連れ戻され管理化に置かれることとなった…ということを匂わす台詞が村人の間で語られる。ディの容態を聞きつけたチャンユーは、無断で村に戻ったため、さらに2年間、厳しい監視下に置かれることになったのである。  ナレーションでは次のように語られる。「村人の話では、二人がついに再会を果たした日、母は父の好きな赤い服を着て、道で待っていた。以来、父は母のそばを離れなかった。」  しかし、映画を見ている観客は本当のことを知っている。単に”2年後に再会した”のではなく、ディは愛する人が戻るのを毎日ずっと道の上で待ち続け、2年間が過ぎたのだ…と。
*2:映画の構成は、40年後の現代、父親(チャンユー)の死の知らせを聞いた、年老いた母親(ディ)の元へ数年ぶりに帰郷した息子が、両親の馴初めを振りかえる…という、結論が既に語られた上で、そこまでのプロセスが明らかになっていくスタイルである。
現代のディの部屋の壁にJ.キャメロンの『タイタニック』のポスターが張ってあるのはそのスタイルを意識してのことだろう。これが『ユージュアル・サスペクツ』のポスターじゃなくて良かった(笑)。
*3:とにかく、チャン・ツィイーの清楚なかわいらしさにメロメロ(死語)。日本人女優で本作のリメイクをするのなら、酒井美紀でしょう(ただし5年前くらいの)。