『グエムル 漢江の怪物』

【解説】(allcinema ONLINEより)
ほえる犬は噛まない」「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督が手掛けた異色のモンスター・パニック巨編。韓国では興行記録を次々と塗り替える大ヒットとなり大きな話題を集めた。謎の巨大生物に娘をさらわれた一家が、政府の理解を得られぬまま独力で怪物に立ち向かう。主演は「JSA」「殺人の追憶」のソン・ガンホ、共演に「リンダ リンダ リンダ」のペ・ドゥナ
ソウルの中心を東西に貫く大きな河、漢江(ハンガン)。その河川敷で売店を営むパク一家は、家長のヒボン、長男カンドゥ、次男ナミル、長女ナムジュ、そして彼らの愛情を一心に受けるカンドゥの娘ヒョンソの5人家族。ある日、いつものように人々が河川敷でくつろいでいると、突然、正体不明の巨大な生き物が出現、驚異的なスピードで動き回り、逃げまどう人々を次々と食い殺し始めた。店番をしていたカンドゥも中学生になる一人娘ヒョンソの手を握り逃げ出すが、混乱の中で手が離れ、ついにヒョンソは怪物に連れ去られてしまうのだった。その後、政府はグエムルが感染者を死に至らしめるウィルスの宿主であると発表、カンドゥたちパク一家も強制的に隔離されてしまう。悲しみに暮れるパク一家だったが、そんな時、カンドゥの携帯に死んだと思われたヒョンソから助けを求める一本の電話が入る。カンドゥはいくら訴えても取り合おうとしない政府の協力を諦め、残された一家4人でヒョンソの救出に向かうのだったが…。

■突然起こった(孫)娘の危機に家族が一致団結して立ち向かう、という最近は少なくなった気がするファミリー・アドベンチャーもの。邦題でも強調される”怪物”は登場して直ちに川辺でレジャー客を相手に縦横無尽の大暴れ。…なのだが、そのシーン以降は主人公一家視点からのオフビートな演出主体でダイナミズムには欠ける。クライマックスは数千人の学生デモ隊と怪物の激突を期待したのだがそれもなし。もちろん監督が意図的にカタルシスやハッピーエンドを避けたことは推察できる。描かれるのは、日常の中でいつ降りかかるかもしれない厄災の存在*1や政府/米国への不信感。そしてそれらに相対したときに問われる”家族”という最小コミューンの在りかた。映画の中では家長たる父親、そして救われるべき娘自身も命を落としてしまい、映画としてのカタルシスは得られない。それだけに物語中盤、病院を脱走した家族が薄明かりの中食卓を囲み無言でめいめい好きなものを食べつつ、ヒョンソ(の幻影)に対していとおしげにご飯を食べさせるシーンがじんわりとくる。こんな映画が歴代興行記録を塗り替える韓国は、創る側も観る側もいろいろな意味で映画に関する度量が深くて羨ましい。

■日本国内の配給は角川ヘラルド。今国内で公開される韓国映画の流れは、いわゆる韓流スターが売りのベタなロマンス/青春/ラブコメ系作品と、少しひねりのあるミニシアター系作品の2つが無難な分け方になる。もしもヘラルド単体の体制だったら従来のポン・ジュノ認知層や作品のカラーを受け入れる層に対してミニシアター系の売り方をしただろうに、堂々と「怪獣映画」とか「ハリウッドの一流スタッフ集結」とか「暗闇で光るグエニュル」とか…、かつての東宝東和テイストが余計な期待を一部観客に付けてしまった結果、パブリシティや上映規模に対しての一般評価や興行成績がショボくなってしまった。


*1:ラストはカンドゥと、ヒョンソの忘れ形見とも言える少年と河川敷のあの家で食事を取るシーンで終わる。ただそのシーンも、いつまた怪物が河から蘇り家を襲うのではないかと不安でしょうがなかった。…『殺人の追憶』のラストでも、ソン・ガンホが側溝を覗き込むシーンで、側溝の中には絶対新しい死体があるに違いない!と思ってスクリーンが直視できなかったもの。