『2番目のキス』

解説】(allcinema ONLINE より)
イングランドの人気サッカークラブ“アーセナル”の熱狂的サポーターを主人公にした人気作家ニック・ホーンビィの自伝的ベストセラー『ぼくのプレミア・ライフ』を、97年のコリン・ファース主演作に続いて2度目の映画化。設定をメジャーリーグボストン・レッドソックス”の熱狂的ファンに置き換え、全てがチーム最優先の男を恋人に持つヒロインの戸惑いと苦労をユーモラスに描く。主演は「50回目のファースト・キス」のドリュー・バリモアと「TAXI NY」のジミー・ファロン。監督は「メリーに首ったけ」「愛しのローズマリー」のファレリー兄弟
 冬の気配が忍び寄る10月のボストン。ビジネスコンサルタントとして成功を手にしたリンジーは、高校の数学教師ベンと運命的な出会いを果たし恋に落ちる。交際は順調に進み、リンジーはベンに対しそれまでの男たちにはない楽しさと安らぎを覚えるのだった。ところが季節が巡り、春が到来すると2人の関係はにわかに雲行きが怪しくなり始める。実はベンは、ボストン・レッドソックスの筋金入り熱狂的ファンだったのだ。野球シーズンを迎えるや、ベンの生活は全てがレッドソックスを中心に回る。大切な恋人リンジーにしても、ベンにとってはあくまでも“2番目”だったのだ。最初は戸惑いながらもベンに合わせてレッドソックスを応援するリンジーだったが…。


■「恋人よりも、趣味が優先?それって、どう思う?」─この日本公開時のキャッチコピーには、非常に普遍的かつ深刻な問題を改めて気付かされる。張り切って出かけた異性とのデートでも何をしゃべってよいかわからず「趣味の話だったらいくらでも出来るのに…」と悩める若者は古今東西ゴマンといるし、結婚しても休日はお互い別のライフスタイルを貫き通すカップルだってゴロゴロ実在する。

■しかし映画の中身はこのコピーの提示範囲を越えている。野球場が育ての親がわりとなったたジミー・ファロンにとって、野球とは既に単なる趣味ではなく、彼の人生哲学の根底であり分身であり、シーズンを通して球場で至福の時間を共にする仲間たちは真に彼の家族なのだ。そこに割り込んでくるドリュー・バリモアは三角関係の最終角であり、問題は既に”親と恋人のどっちが大事か論争”とか”異文化コミュニケーションがいかに難しいか”というレベルにまで達しているはずなのだ。しかし映画の中でジミー本人もそこまで気付いておらず、「レッドソックスと彼女、どちらが自分を愛してくれるか?」というレベルの選択論議で片付けようとし、ドリューに振られたショックからボストン本拠地の生涯シーズンチケットを手放す決心に至る。そこにはあえて前述の理由から、「やはり僕はレッドソックスを、家族を捨てられない!」と決心するくだりが是非とも欲しかった。

■かたやドリューが、一度は分かれたジミーがシーズンチケットを売ることを知り、「彼は私のために大事なものを捨ててくれた。じゃあ私は彼のために何を捨てられたの?」と自問しジミーの元に戻る決意をするくだりは悪くない。しかしそのシークエンスの直前に、お互いを絶えず人生レースのライバルとして意識していた職場の元同僚が結婚して妊娠してしまったことを知るシーンが描かれているため、ドリューがジミーの元へ戻る理由が「やっぱり彼のことが好きだから」という以外にも、「ライバルにレースの差をつけらてしまうから」ということを恐れたから、という打算的な見方もできてしまう。そのためか、試合中のグラウントに飛び降りジミーの元へひた走るドリューの姿にもいまひとつカタルシスを感じることができないのだ。

■さらに言わせてもらうと、ジミーはなぜ同じレッドソックスファンの女性と付き合うことを考えないのか?そのきっかけが過去にないのはリアリティが無さ過ぎる。前半のシークエンスでドリューがジミーに惚れるきっかけは描かれていても、ジミーがドリューに魅かれる理由が今一つ明らかにされていないので、↑を疑問に感じてしまうのだ。

■…というあとづけのイチャモンも、この映画へのこちらからの愛情の裏返し。映画を観ているあいだはファレリー兄弟からの”愛”─モチーフであるボストン・レッドソックスへの愛、レッドソックスにありったけの思いを捧げるファンへの愛、そして自分の気持ちに嘘をつけずにすれ違う悩めるカップルへの愛に触れてずっと幸せな気持ちだった。悪人も出てこず無意味なサプライズもなく、屈託なくあははと笑っていられる至福の時間。この映画のようなラブコメがもっと頻繁に公開されて、つらい気持ちのときもちょっと楽になれるような世の中であればいいのに。

■ところで、『2番目のキス』という邦題を”センスが無い”とこきおろす奴は、じゃあどんな邦題ならこの映画に相応しかったのか?他に少しでも客が多く呼べる邦題があるなら教えろ、と言ってやりたい。