『エターナル・サンシャイン』

【解説】(allcinema ONLINE より)
終わってしまった恋の思い出を捨てた彼女と捨て切れなかった彼の、かけがえのない楽しかった日々を辿っていく切ないラブ・ストーリー。「ヒューマンネイチュア」の脚本・監督コンビ、チャーリー・カウフマンミシェル・ゴンドリーが奇想天外なストーリーを、コミカルなタッチも織り交ぜながらユニークかつ巧みな作劇で語っていく。主演は「グリンチ」のジム・キャリー。共演は「タイタニック」のケイト・ウィンスレット
バレンタインデーを目前にしたある日、ジョエルは不思議な手紙を受け取った。そこには、最近ケンカ別れしてしまった恋人クレメンタインについてこう書かれていた。“クレメンタインはジョエルの記憶を全て消し去りました。今後、彼女の過去について絶対触れないようにお願いします。ラクーナ社”。仲直りしようと思っていた矢先にそんな知らせを受け、立ち直れないジョエル。そして彼も、彼女との記憶を消すことを決意し、ラクーナ医院を訪れる。そこでは、一晩寝ている間に脳の中の特定の記憶だけを消去できる施術を行なっていた…。

■誰もが(経験として)思い付くはずなのに、おそらく誰も映画にしなかったアイデア。「消されそうな記憶が逃げ回る」というのは「失われた記憶を取り戻す」というフィリップ・K・ディック(『トータル・リコール』『ペイチェック』)の裏パターン。脚本/総指揮のC.カウフマンはディックのファンであることをインタビューで答えている。(ちなみに彼はディックの『暗闇のスキャナー』の映画化の脚色も手がけたが、映画は結局『ウェイキング・ライフ』(そして『スクール・オブ・ロック』!)のリチャード・リンクレイターの監督・脚本によってボツになった。)

■”ギャガ配給の映画は宣伝文句の3割引きで見るべし”という鉄則があるが、宣伝イメージのように華やかな演出もなく、「6大スター」の扱いも地味だ。判り易い泣かせ演出があるのではなく、貼られた複線やふとしたモノローグに自然と泣けてしまう。そして”引き”に徹したジム・キャリーと、見た目の派手さが内面の孤独感を際立たせるケイト・ウィンスレットが好感。

■失恋の痛みを消す手段として「愛した人の記憶を消す」という手段には矛盾が生じる。消すことができる程度の記憶であれば、それは愛していたことにはならないのだ。そう考えると、想像でしかないけれど、クレメンタイン自身も記憶消去のプロセスにおいて抵抗を試みたのだと思う。孤独な人生の中でようやく「仲間を見つけた」と感じられたジョエルの記憶を失うことを、消去作業の中で彼女が受け入れたとは思えないのだ。(内気なジョエルの”記憶逃走劇”よりは、アクティブなクレメンタインの”記憶抵抗劇”のほうが映画的には面白かったかもしれないが、それでは全く違う映画になってしまいそうだ)

■必死の逃走を試みるも追い詰められる2人の記憶。その終着点である初めて出逢った浜辺で、記憶の消滅とともに小さなコテージが崩壊していく中、ジョエルは言えなかった『さよなら』を記憶の中の恋人と交わす。廃墟となった数々の思い出の脇を通過しながらジョエルが「ただの女の子さ…」とつぶやくシーンは、ビジュアル化された”記憶風化”のシーンとして印象的。

■安易なハッピーエンドを期待するなら、メアリーの内部告発により2人が真実を知ってしまうラストは不要だっただろう。でも、2人の記憶の価値、2人の思いの価値を問うためにはあのラストは必要だった。あのラストカットはダルデンヌ兄弟の映画のように、2人の「これから」に向けた小さな決意を感じさせてくれて心に残る。

エターナル・サンシャイン プレミアム・エディション(2枚組) [DVD]

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