『アナーキー』@横川シネマ!!

アナーキー [DVD]

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 暇があれば”80年代の日本のロックお遍路参り”を行っている自分だけれども、その中でも重要な札所であるはずの「アナーキー」にはこれまでどうも足が向かなかった。youtubeで彼らの曲を聴いてみたのだが、ガナリたてる茂のボーカルとガシャガシャしたバックの音が、「センス悪っ!」と好きになれなかったのである。
それでも、彼らについて理解しておきたいことが二つあった。
「当時社会現象にまでなった彼らの人気とは何だったのか」 ということ、そして、
「彼らの活動を停止させた【マリの事件】とは何だったのか」ということ。
 そのいずれの答えも、この映画では判り易く描かれていた。そして何より、この映画を観て、彼らの残した音源を全て聴きたくなった。

 映画は彼らのデビューから約5年間の過去の映像資料をベースに、現在のメンバーひとりひとりからの当時についてのコメント+当時の彼らに影響を受け現在第一線で活躍するミュージシャンたちからのコメントを挿入する形式となっている。中学・高校で顔なじみだった近所の不良たち5人が「パンクでもやるか」と結成したアナーキーは、アマチュアからのたたき上げではなくヤマハ主催のコンテスト”EastWest”での受賞をきっかけにメジャーデビューを果たし、1980年のデビューアルバム『アナーキー』は10万枚を越えるヒットとなる。
 80年代前半に全国区で人気を得たパンクバンドとして”ザ・スターリン”、”ARB”、そして”アナーキー”を御三家(笑)として挙げていいのではないだろうか。ただし、3つのバンドの表現手法やファン層はそれぞれ大きく異なっていた。
 まず過激なステージングと独特の歌詞で注目を浴びた”ザ・スターリン”は、主催者である遠藤ミチロウが表現手法のひとつとしてパンクというスタイルを選んで始めたバンドであり、反体制や反社会性をテーマにしたものではなかった。ステージでの放尿や豚の生首を客席に投げつけるといった過激なステージングから、ファン層も過激なパンクスタイルの若者が多かったが、当のミチロウ本人は、それらのステージングや独特の歌詞は”ライブに来た人間の本音や感情を引き出すため”という、言わば前衛芸術的なスタンスでザ・スターリンの活動を行っていた。(…と思う。ミチロウに触れ始めたのはこの2年くらいのことなので少し自信がない(笑)。)
 ARBをパンクバンドとして扱うことは少し抵抗があるが、彼らがロックファンから支持を得はじめた80年初頭の叩き付けるようなビートとエネルギッシュなボーカルというスタイルはパンクロックのそれと重なる部分が大きい。歌詞の内容も労働者階級の不満や悲哀を主なテーマにしながらも石橋凌の独特のセンスによって女性や社会人等の幅広い層のファンを獲得していった。(…この解釈には自信あるよ。再結成後からのファンだけど10年目のARB-Kidsとしての思いは誰にも負けん!)
 そしてアナーキーであるが、デビュー当時のファッションやヘアスタイル、顔つきは本当に”当時の不良5人組”といった感じで、歌詞の内容も「ふざけんな」「やめちまえ」とフラストレーションをレトリックで隠すことなくストレートに表現している。”センスが無い””頭が悪い”と言い切ってしまうとそれまでだけれど、同じような不満を持った中学生・高校生の年代に対しての訴求力は充分だった。そしてバンドとしての演奏も、この映画で初めてきちんと認識したのだけど【上手い】。デビュー前からデビュー後しばらくの間もメンバーの5人は同じ屋根の下で生活していたというが、5人のパワーのベクトルとスピードが呼応しあって強靭なビートを生み出しており、【荒い】けれど【上手い】。ボーカル/歌詞の持つパワーと演奏のパワーは、アナーキーの”親衛隊”と呼ばれる熱烈な若いファン層を誕生させ、彼らはバンドの象徴であったナッパ服と「亜無亜危異」と書かれた赤い腕章というファッションで相互の連帯感を強めていった。亜無亜危異という当て字のセンスから判るように、アナーキーのファン層は暴走族とイメージがダブる。暴走族が自分の居場所をバイクとスピードに託すような”純粋さ”で、親衛隊たちは自分たちの欲求の解消をバンドの活躍に重ねていった。


 アナーキーのメンバーの中で彼ら親衛隊と最もコミュニケーションを行っていたとされるのが、サイドギターの逸見泰成、通称【マリ】である。吉田豪のインタビュー集『バンドライフ』におけるシゲルへのインタビューによると、彼はもともとの素行が地味で真面目だったものの、シゲルに感化されるかたちで不良への道を進んでいったという。家庭や学校では大人しいとされている子供が心の底では不満を抱えており、仲間との出会いの中でそれらが吐き出され、自分らしさを見出していく─想像ではあるけれど、そんな道を辿ったマリ自身が、親衛隊の若者たちに最も共感していたのかもしれない。

 デビュー当時は自分たちと大人・社会との軋轢を歌うことがバンドのテーマであり推進力であったアナーキーであるが、作品の発表を重ねていく中で、ミュージシャンとしての表現力の向上や音楽性の拡大が次第にバンドとしてのテーマとなっていく。映画の中で少しだけ映った80年代中頃の彼らは、(ファッションこそ”ポジパンのコスプレをしたおっさん達”という、正直DQNな感じなのだけど)リズム隊の強化がバンドの音にしなやかさと強靭さを与えたような印象が垣間見えた。このような流れは他の多くのバンドにも同様に起こることであり、バンドの成長を理解できないファンにとっては「裏切られた」「つまらなくなった」という、【先に進むことを選んだ者】と【スタート時の初期衝動を忘れられない者】という意識のズレを与えることも多い。そしてアナーキーの場合、その成長がバンド内部でのズレに発展してしまう。


 「各人がレベルアップを意識して、バンド内での役割分担が進んで行く中で、マリの居場所が無くなっていった」
映画の中でメンバーはそれぞれ、当時のことを異口同音にそう語る。伏し目がちに、そして辛そうに。

 映画の中でのマリの姿や口調は他のメンバーよりも若々しく雄弁に映る。それはまるでバンドを推進するメンバーというより、バンドを崇拝する熱烈なファンのような純粋さを感じさせる。バンドが次の姿を目指して試行錯誤していく中で、かつては普段の行動も5人一緒に「修学旅行のように」つるんで行動していたメンバーたちも個人での活動が多くなっていき、その中でマリは孤立していくようになったという。
 そして1986年、マリは酒がからんだ場面で、前妻が他の男といる姿を見て、刃物で彼女を刺してしまう。重傷を負わせたマリは、殺人未遂として逮捕される。

 この【マリの事件】はロックファンの間では暗黙知として扱われている事件だけれど、単に「○○が○○を刺した」という現象レベルで流布していたに過ぎず、なぜそうなったのか、という背景(上記が全ての背景ではないとしても)までが明らかにされたのはこの映画が始めてではないかと思う。

 
 新たな方向性を模索していた他のメンバーは別名の「THE ROCK BAND」─パンクバンドではない、ただのロックバンドとして活動を持続させようとするが、やがてその活動も失速していく。バンド「アナーキー」はその後数回の、マリを含むイベント的な再結成やメンバーチェンジを経て、現在も独自のペースで活躍中でおり、物語はまだ続いている。


 マリに刺された彼女は、その著書の中でこう語っている。
「裁判所で被告と原告として対峙したとき、彼に対する憎しみは無かった。ただ、そんな形で会わなければいけないことが悲しかった。」
 彼女はこの事件での経験を『Dear Friends』という歌にした。そして彼女もまた歌い続け、彼女のバンドは結成25年を迎えた。その物語もまたいずれ。

BAND LIFE―バンドマン20人の音楽人生劇場独白インタビュー集

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アナーキーBOX「内祝」(DVD付)

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